第一話 暁青

【1】
わたくしは航海中の船の上で生まれました。

海域は弐波南海諸島。
蒸気船が着岸できる唯一の島への海路を、煌々と満月が照らし、珊瑚の影が水面に揺れていたそうです。

船は学術船で、植物学者の父と言語学者の母は共に新大陸を出てから3年の旅路の途中にありました。

父は西方五王国のひとつ漣国、母は煌暁大天の北方属国エドアの出身です。

ヒイヅルという小さな島国の血をひく母から、漆黒の真っ直ぐな髪を受け継いだわたくしは、夫婦の共通語である那雅留汰語で育てられ、他にも幾つかの言語を話します。

那雅留汰語はかつて西方北大陸を統一したナガルタ国の言語であり、古代西方文明の国際語でした。
その後、分裂や統合を繰り返して現在では五王国に落ち着いていますが、各国の言語の派生元が那雅留他語であったことや、五王国の間で科学的また人文的な知識を共有しようという動きがあったことから、出版されるあらゆる書籍は那雅留汰語に翻訳されています。
その結果、先進国において高等教育を受けるほとんどの人が那雅留汰語に通じ、また母国語では高等教育を受けられない学生は、那雅留汰語を学んでから留学します。


母は煌暁大天辺境の山間部の小さな村に生まれましたが、教育熱心な祖母から那雅留汰語に翻訳された煌暁大天の歴史書「史跡怜典観」を贈られました。
騾馬に乗って公営市場へ出かけては朗読してくれる人を探し、羊の世話をしている間は暗唱し。そうして一番難しいとされる正調古典ナガルタに通じるようになりました。

父は漣国の荘園領主の家に生まれ、8歳で全寮制学校に入ります。
大の勉強嫌いで、温室と薔薇園に入り浸っていたそうです。

母国語と共通ナガルタは当然として、鎖国中だったヒイヅルの言語を学んだのは、その課を選択する人が少なかったので気楽そうだという甘い考え方からのようでしたが、父曰く「俺が馬鹿だった」。
そんな稀少な学問を教えようという先生が、不熱心なはずがありません。

先生はあらゆる視覚教材を駆使して、ヒイヅル語とその国に対する関心を高めました。
その教材の中にあった美人絵と生き写しであった、そう父は若い頃の母について話しますが、実際のところはどうなのか、謎のままです。

ともあれ父は自分の作った新種の薔薇に母の名前をつけて求婚するという、わたくしからするといささか前時代的な戦略を持って母を射止めました。
古き善き時代のお話です。

さてそんな夫婦の間に生まれたわたくしは、ヒイヅルという国にたいそうな親近感を得ておりました。
鎖国が解かれ、漣国から鉄道技師が呼ばれ、帝都に壮麗な駅舎を建造するために、漣国から煉瓦が運ばれる、そう聞いたわたくしは様々な伝手を頼りにその貨物蒸気船に乗り込み、ただ今、ヒイヅルに向かっております。
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